長い長い週末。
調査をはじめ、さまざまな用事のため、東京へ。
東京駅では、本当に多くの人が自分の目的場所に向かって歩いていました。
買い物をする人、仕事に行く人、食事をする人、観光する人など、多岐多様。
そして、想いを持つ人、持たない人、改革という言葉も考え方が多様。
「民主主義」という言葉は、耳にしたことなある方は少なくないと思いますが、
考え出すと、とても深い概念だと思います。
「多数決」「公平」「明確な手続き」「言論や信教の自由」「法の下の平等」「権利と自由」など、
キーワードは多数出てきます。
1つの議事について取り出してみると、
総論である「民主主義」には賛成、
各論である「結論」には反対ということもあります。
民主主義社会・国・Democracyについては、「核心部分」ではないかと考える指摘がありました。
・民主主義社会とは、寛容と協力と譲歩といった価値を何よりも重視する。
・民主主義国は、全体的な合意に達するには譲歩が必要であること、
また合意達成が常に可能だとは限らないことを認識している。
・不寛容は、それ自体が暴力の一形態であり、真の民主主義精神の成長にとって障害となる。
自分の考え方、行動について、
「正しい」と「評価される」行動は何かと考えた後に行動すること、
「自分の信念の従って行動した結果」「正しい」という評価となること。
「正しい」という評価は、時代や環境の変化によって、変化するものであると思います。
例えば、ガリレオやコペルニクス、ケプラーやニュートンが唱えた、地動説。
簡単に説明すれば、
「地球は動かず、地球の周りを宇宙が動いている」(天動説)のか、
「太陽を中心として、宇宙の中で地球が動いている」(地動説)のか。
(聖書などの記載や解釈などの問題はさておき)
大きくは、「どのような視点で物事を捉え、評価するのか」が異なり、
結果、「科学」という手法を利用して、地動説が正しいという「結果」を導き出しています。
話は大きくなりましたが、お伝えしたかったのは、
最初から絶対的に正しいと評価されたことにより、行動することはできず、
正しいと考えて行動することとなるのではないかということです。
「正しい」と考えることが多種多様であるから、「民主主義」という言葉・概念が成熟してきた。
「民主主義」については、ここには書ききれないくらい、今まで以上に考えるきっかけをいただきました。
必ず正しいと評価されるか否かは分かりませんが、
「自分の信じる道」をこれからも探り、行動していきたいと思います。
(長文失礼いたしました)