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1月6日、名古屋城鯱の金鱗盗難事件が発生(発覚は7日)しました。
とはいえ、現在の話ではなく、昭和12年(1937年)のことです。
鱗の総数は110枚。そのうち58枚が「剥がされた」のです。

名古屋城の歴史を見てみます。
1609年(慶長14年)徳川家康は名古屋城を築城を決定。
1610年(慶長15年)築城開始。
天守台石垣は、加藤清正など大名により、1年足らずで石垣を完成。
1612年(慶長17年)頃に大天守が完成。石垣から1年足らず、築城から2年足らず。

1870年(明治3年)徳川慶勝が新政府(明治維新)に対し、名古屋城の破却を申出(金鯱の献上も)。
1879年(明治12年)山縣有朋が名古屋城の城郭保存を決定(姫路城も)。
1893年(明治26年)陸軍省から宮内省に移管。名古屋離宮と称する。
1930年(昭和5年)名古屋離宮は廃止。宮内省から名古屋市に下賜。
         国宝(城郭1号)に指定。(姫路城の国宝指定は城郭2号)
1937年(昭和12年)1月7日金鯱の鱗の盗難が発覚(8日に名古屋城金鯱盗難事件が報じられる)

<<名古屋城金鯱盗難事件>>
全国指名手配により、犯人は同年1月28日に逮捕(懲役10年)。
犯行手口は、1月6日夕方、見物人とし名古屋城小天守に入り、身を潜める。
夜になってから“猿のように“足場を伝って大天守へ。
屋根に登りつめ、ペンチで金網を破り鱗を剥ぐ。
剥ぎ取った鱗は、持参した風呂敷に入れて、再び足場伝いに降りる。
犯人は、自宅に戻ってから坩堝(るつぼ)を購入し、金の延べ棒に仕立てた。
大阪市東区平野町の貴金属時計店に、売却目的で金の延べ棒6本が持ち込まれ逮捕につながった。

<<他にも金シャチ盗難があった??>>
ちなみに、名古屋城の金シャチの鱗が剥がされたのは、1度だけではありません。
最初は江戸時代の中期(1712年・正徳2年2月14日)。
金助と称する盗賊が、強風に乗じて大凧に体を縛りつけ金鯱の鱗を剥ぎ取ったという“伝説”。

明治時代にも3度(そのうち2度は軍関係者)あったとも言われています(さらに調査中)。
1871年(明治4年3月)陸軍名古屋分営の番兵が天守閣へ登り鱗3枚を盗む。犯人は逮捕、銃殺刑。
1876年(明治9年4月)東京博物館に保管中の鱗3枚を盗む。犯人は逮捕され懲役10年。
1878年(明治11年12月)補修中の金鯱から鱗が紛失、犯人は鎮台名古屋分営の兵士だったようで、事件は軍秘として処理されたとのこと。

<<消えた??約210kgの金>>
しかし、もっとも不思議なのは、名古屋城の天守が第二次世界大戦の際に消失した時のこと。
雌雄一対のシャチは、金215.3kg相当でした。
「金鯱は北側の雄が焼失の方は天守閣の二階まで避難させてあった。
その為燃え殻が残ったが進駐軍に接収。昭和42年6.6kgの金塊として大蔵省から名古屋市に返還。」

不思議だと思うのは高木だけでしょうか??
金の溶ける温度は、1,064度(沸点2800℃)。
約210kgの金はどこに??

溶けること(冷えたら固まる)はあっても、燃えることはないのでは??

不思議な金シャチの歴史ですね。

⬛️名古屋城天守閣木造復元イメージCG
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